検査センターBLOG

(一社)青森県薬剤師会衛生検査センター
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教訓を次世代へ

あれから5年。

あの日のことは、5年たった今でも鮮明に記憶しています。

道路に打ち上げられた大型漁船を目の前にして、自然の強大な力を改めて痛感したのでした。

 

三陸海岸の時間の流れ。

震災直後はがれきによって一変した風景がありました。

震災前の姿がどんなであったか思い出せない場所がたくさんありました。

そして今、がれきは見当たりません。

直後の風景と比べ、また変化しました。

 

土地のかさ上げや住宅地の移転が見られます。

新しい建物が増えてきました。

道路の整備も進んでいます。

 

岩手県宮古市田老地区には長い防潮堤があります。

そこに野球場がお目見えしました。野球場

人のにぎわう声が聞こえてきそうでした。

 

あと5年すれば、さらに変化が見られることでしょう。

震災の意識にも変化が出るかもしれません。

この教訓を次世代にと切に願います。

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ホップの段階

岩手県の北部にある軽米町。

ビールの原料となるホップの生産が行われています。ビール

大手ビール会社の契約農場があるのです。

岩手県のホップの生産量は日本一。

作付面積の約4割を占める。

青森県でも少し栽培されています。

 

ホップはつる性の植物で、高さ89mまで伸びるといいます。

契約農場で作業風景が見られました。

高所作業車による作業でした。

りんご等の果樹園では見たことがある高所作業車。

ホップの作業には落下の心配がなくて最適なことでしょう。

 

以前、ある農場主が高所作業車ではなく、足が長い竹馬で作業していた風景がTVニュースに流れました。

恐怖心は微塵も見られませんでした。

逆に楽しんでいるような感じさえあったのです。

まさしく職人技。

 

収穫期は89月。

現状は、三段跳びでいえばホップの段階でしょう。

ジャンプしても届かないほど生い茂るのはまだ先のようです。


 

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桜と鷲

昨日の4/9に、岩手県盛岡で桜が開花しました。
1953年の観測以来、最も早い開花とのことです。
徐々に青森に桜前線が近づいてきました。
弘前公園の開花は、4月18日。
前回の予報と変わらず。
 
岩手を代表する山は岩手山。
山肌にはまだ雪に多く残っています。
岩手山には巌鷲山(がんじゅさん)という別名があります。
鷲の雪形が現れることからその名がついたとも。鷲
 
岩手山に鷲を探しました。
山全体に翼を広げた形で、尻尾が見えます。
しかし、頭が見当たりません。
まだ、雪が多いため見えないのだろうと考えました。
そうではなかったのです。
 
画像を検索すると、その鷲の姿は頂上付近に現れています。
残雪の形が鷲だと思っていたら、逆でした。
鷲の周りが雪だったのです。
かっこいい鷲の姿がそこにはありました。
 
春の到来とともに現れる鷲の姿。
次回その雄姿を目に焼き付けたいところです。

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希望の光

先頃から地震が続いています。

頻繁に続くと恐怖心が芽生えてきます。

4年前の地震が明瞭に思い出されました。

 

先月、岩手県の陸前高田市を訪れました。

がれきがきれいに撤去され更地になりました。

その後、盛土によってその更地はかさ上げされました。

効率化を図っての巨大ベルトコンベアーがそびえたっています。

大量の土が運ばれ、かさ上げの高さは10mを超えました。

 

その高さを見て、津波の高さを改めて実感したのでした。

さらに、復興のハードルの高さも感じられました。

まだまだ続く道のり。

しかし、奇跡の一本松のように希望の光が差し込んでいます。光


 

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南部鉄器で鉄分を

娘の誕生日にすき焼きを食べました。

すき焼きで使用する鍋は決まって「南部鉄鍋」。

近年、南部鉄器が注目されていて、芸術の域に達していることに驚きます。

南部鉄器との出会いは、小さい頃。

近所の親戚の家の薪ストーブの上に鉄瓶がありました。

それでお湯を沸かし、お茶を飲むのです。

真っ黒で、独特の形状。

我が家にあるものは鉄鍋だけで鉄瓶はなし。

展示品を見ると、たまらなく欲しくなります。

 

さて、鉄器を使うと鉄分補給ができることを知りました。

5人に1人は貧血と言われている昨今、鉄器からの補給は効果的だというのです。

鉄器で調理した食品中の鉄分とアルミやステンレスのそれでは約1519倍も違うとのこと。

 

すき焼きだけではもったいない。

鍋の回数が多い我が家では鉄鍋を利用しない手はありません。

土鍋と使い分けながら食卓に変化を。鍋

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希望のベルトコンベアー

長い掛け橋の建設が続いていると思っていました。

見上げるほどの高い場所に作っているのだなと感じていました。

どこへ続く道なのか疑問を持っていました。

 

陸前高田市の旧市街地の復興工事が大規模に行われています。

1年程前はダンプカーの往来が激しかったのですが、今は減ったように感じています。

土埃も少なくなったように感じています。

山を最大80m削り、旧市街地を10mかさ上げしているのです。

その土の量はダンプカーにして200万台以上。

ダンプカーでの運搬は気の遠くなるような時間がかかり、交通事故の危険が伴います。

これを解消するために登場したのがベルトコンベアー。

長い掛け橋ではありませんでした。

ベルトコンベアーで土が流れているのです。

ベルトコンベアーの総延長は3kmに及ぶとか。

 

ベルトコンベヤー専用の吊り橋があるようです。

その名称は「希望のかけ橋」。

陸前高田市の市内小学生を対象に募集して決まった名称。

陸前高田の希望を見上げました。


 

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3年後の海

あの日から3年。

朝食時にあの日の出来事を振り返ってみました。

先生に伴われて集団下校した娘。

インフルエンザが快方に向かっていた息子。

息子の看病をしながら家が鳴る異変に気づいていた妻。

信号が無灯だったことにより国道をノンストップで帰宅した私。

寒さと余震に震え、小動物のように小さくなっていたことが今でも鮮明に蘇ってきます。

 

三陸鉄道には2つの路線があります。

北リアス線と南リアス線。

前者は岩手県久慈市の久慈駅から宮古市の宮古駅の区間。

後者は釜石市の釜石駅から大船渡市の盛駅の区間。

両者の間にはJR山田線があります。

両者はようやく全線が開通されましたが、山田線はいまだ不通のままです。

 

昨日、出張のため三陸海岸を走りました。

更地の中を線路が走っています。

運よく三陸鉄道の車両と出会いました。

 

真っ青な空が眩しく、冷たい潮風が頬をかすめました。

3年後の三陸の海はとても穏やかでした。

何事もなかったようにとても穏やかでした。

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凛として、泰然として

陸中海岸国立公園に指定され、渚百選にも選定された「名勝 高田松原」は、1667年に高田の豪商・菅野杢之助によって植栽されたことが始まりとされています。クロマツやアカマツからなる7万本もの松林は、白砂青松の景観から多くの観光客が訪れる観光地として賑わっていました。

しかし、2011311日に発生した東日本大震災による大津波によって壊滅的被害を受け、その中で奇跡的に残った一本の松は「奇跡の一本松」と通称されるようになりました。復興のシンボルとして内外に発信された松ですが、塩水によって根が腐り枯死と判断されました。今後、接ぎ木による苗木育成を行い、一本松自体は樹脂コーティングによる人工的な処理を行い、モニュメントとして整備します。

 

陸前高田市をはじめて訪れました。

奇跡の一本松を見上げました。

予想以上の樹高でした。

2007年の一本松の写真が上記とともに看板に見ることができました。

その写真の松原の中に、突出した一本松を見ることができます。

今は松原の面影を探そうとしてもどこにも見つけることができません。

同様に、高田の町並みもどこにも見当たりません。

あるのは、区画された土地と雑草だけです。

 

現在も復興工事の重機の音がこだましています。

がれきの処理も続いています。

そんな中でも、奇跡の一本松は凛として、泰然として眼前に立ち続けています。






 


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海士になりたい

岩手県久慈市が大変なことになっています。

NHK朝ドラ「あまちゃん」のロケ地となったことにより、観光客が殺到しています。

土日祝はマイカー規制がかかっています。

観光客向けに、道の駅土風館では、海女の「顔出し看板」が設置されてありました。

そこに「北限の海女」との明記が。

 

北限の海女との名称は、脚本家水木洋子先生が1959年のNHKラジオドラマで放送された「北限の海女」シナリオ作りのため久慈市小袖地区を訪れた際、小袖部落の素潜りの女性達をみて、「これは北限の海女達だ」と、呼びラジオドラマの題名にしたそうです。それまでは小袖地区では男は船に乗り、留守を守る女性達は、目の前の岩場で海草採ったり素潜りでカゼ・アワビなどを採り、普通に「もぐり」と呼ばれていました。

(久慈市HPより引用)

 

海女は女性です。

実は男性もいるのです。

男性の場合は海士と書きます。

 

海女・海士(あま)

潜水によって海中の魚介類(アワビ、サザエ、トコブシ、ウニ、ナマコなど)や海藻、真珠を採取する。皮下脂肪が多いといった体質的な理由などから女性が多い仕事だったが、近年はウェットスーツの普及により男性(海士)も増えている。地元の漁業協同組合に入る必要があるため、近辺で育った人間であるか、結婚などでその地域の住人の家族になっていることが必要。1年間程度の見習期間を経て一人前になるといわれている。収入は採取の量やシーズンによって幅がある。そのため男性であれば漁師と兼業、女性であれば主婦である場合がほとんどである。いったん都会で就職をしたが、戻ってきた人などが後継者になっており、人は足りているのが現状である。また、海女をしていた女性は比較的長生きすることが多く、なかには80歳を超えてなお現役で活躍している人もいるという。

13歳のハローワーク公式サイトより引用)

 

海女人口が増えそうな勢いです。

私も海士になりたくなりました。

「あまちゃん」だと言われそうです。








 


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両目の英雄

仙台城本丸跡にある伊達政宗騎馬像の前に立ちました。

疾風のごとく大地を駆け抜けた勇姿が厳然と立ちはだかりました。

「独眼竜」という異名がすぐに浮かんできました。

独眼竜とは片目の英雄とのこと。

ところが、その像は両目が開いていたのでした。

なぜでしょう。

 

伊達政宗

 伊達政宗は、日本の歴史の中でも有名な人物ですが、三春の歴史にも深い関わりのある人物です。伊達家は、江戸時代に仙台藩六十二万石を支配し、加賀藩の前田家、薩摩藩の島津家に次ぐ大大名であり、その初代となる政宗は、仙台藩の基礎を築いた人物です。政宗にはじまると見られがちな伊達家ですが、その家柄自体、源頼朝の奥州合戦直後、現在の福島県伊達郡辺りを与えられた、古くから東北地方に根を置いた名家でした。

 政宗は、永禄10(1567)年8月3日、伊達輝宗と山形城主最上義守娘の間に長男として生まれ、天正7(1579)年には三春城主田村清顕娘愛姫と結婚し、田村家と深いつながりを持つことになったのです。ちなみに、政宗の曽祖父稙宗の娘は田村隆顕(清顕の父)に嫁いでいますから、政宗と愛姫は又従兄弟の関係となります。その後の政宗は、東北地方の南部をほぼ制圧しながらも、豊臣秀吉に屈し、一大名として江戸時代を迎えたのです。

 ところで、平成18年度開催の春季特別展「田村大元神社」において「伊達政宗肖像画」を展示しました。この絵は「歴代画真」と呼ばれる伊達家歴代の肖像画集の一枚で、現在仙台市博物館に所蔵されています。この絵に描かれた政宗は、その風貌から老年を迎えたものと思われますが、甲冑を脇に置き、武将としての側面も垣間見せます。

 さて、政宗といえば「独眼竜」の愛称で有名ですが、この肖像画にはその様子が描かれていません。同じく仙台市博物館蔵の政宗像(「馬上少年過」の詩で有名なものです)も、「独眼竜」ではない政宗像を描いています。「伊達治家記録」という史料によると、政宗は幼少の頃、疱瘡のために右目を失明しましたが、そのことを生涯恥じ、死去する時、自分の肖像を作る時は必ず両目を入れよと命じたため、政宗の肖像は、いずれも両目を見開いた形になっているのです。

 政宗は、寛永13(1636)年5月24日、70歳で死去しました。墓所は仙台市の瑞鳳殿にあります。(藤井 康)

(三春町役場HPより引用)

 

騎馬像は仙台市内をぐるっと見渡せる高台にあって、さらに台座の上にあります。

正宗の両眼は見上げる自分の位置から9m程高い場所で市街地を見渡しています。

仙台は基礎を築いた英雄によって今でも見守られています。






 


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